ひよこ豆のミートローフ

鶴亀

2014年06月14日 23:02

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ひよこ豆のミートローフ

試作しました。

ものすご~く簡単なレシピなのですが

スタッフ渡辺は、「おいしい~」と言ってくれました。



もちろん、動物なしですので、

お肉の代わりに大豆たんぱくを使いました。



使った大豆たんぱくは、アリサンの「ジャックの豆ミート」

こちら


ひよこ豆もアリサンのです。

ゆでひよこ豆もあります。 

「チクピー豆」とか「ガルバンゾー」とも言います。

高タンパク、食物繊維たっぷりですが

大豆よりも脂質やカロリーが低いので

ダイエットには向いているかもしれません。


ほんのり甘みがあり、香りも味もクセがないので

色々と使えます。

大量茹でしたので

いろいろ作ってみました。

ディップ(バターの代わりにパンにつける、サンドイッチに挟む、温野菜につける・・・・)



スープ  (お塩だけでも美味しい。昆布だしを使うともっと美味しい)



ということで、こちらのローフは

来週のワンコインクッキングでお披露目いたします。


ひよこ豆初めての方のために

茹でたひよこ豆の試食もしていただきます。

それから、超超簡単スイーツも。


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本日は、「ルンバちゃん」 に休暇をあげました。

ほうきで掃いて、

モップではなく雑巾で拭きました。
耳の痛い話があります、自戒の念を込めてお掃除とPU
マクロビオティックを世界に広めた「桜沢如一」は
掃除の大切さを以下のように説いています。


「宇宙の秩序」すなわち心理を体得するということは、神の国とその義を地上に実現することで、したがって、真の、永遠の、普遍の幸福をつかむこと、真の自由を獲得することでもあるが、この宇宙の秩序(数千年、あらゆる人間が知恵と力をしぼって探し求めている真理)を発見するということは、実に、お掃除という行を身につけない限り出来ない相談だ。

だから、高遠な理想や、深遠な哲理や、ややこしい科学に身を委ねたが最後、お掃除ナンカするヒマもなくなるから、目的の真理は影も見えなくなるし、目的への方向すら完全に忘れてしまうのである。つまり、お客を迎えるのに床の間の花や軸を飾り立てることばかり苦心して、台所やお便所の掃除を忘れ、家全体に臭気をみなぎらせ、一度お客が便所に入るや、たちまち驚き、台所をチラと見ただけでもう御馳走を頂く気にもなれないようになる様なもの。この意味で便所掃除に目をつけた天香さんはエライ。

お掃除はむつかしい。およそこの世の中で、お掃除ほどむつかしいものはあるまい。お掃除の上手な人、名人はキット幸福の発見に成功しお掃除の下手な人は失敗する。お掃除を知らない人は、惨めな、不愉快な一生を送る。それもそのはず、お掃除とは秩序をつけることなのである。そして、秩序とは宇宙の秩序を模倣し、再現することにほかならないのだ。

お掃除とは清らかにすることであるから、小は机の抽斗の中、頭の中の秩序づけから、一身一家や社会、国家や世界の秩序付けまで、みなお掃除のうちである。お掃除は病や罪(あらゆる不幸の原因)を掃い清めることでもある。つまり、医学でも経済学でも、社会学、政治学でも、みな掃除の一種(いわゆる「おはらい」「大はらい」)なのである。

お掃除の好きな人、すなわち上手な人は、信頼しても、決して裏切られるおそれがない。お掃除の嫌いな人、すなわち下手な人は、大いに警戒を要する。ウッカリ無制限に信頼したらエライ目に会わされる。地政学の大権威チェレーンは「最大多数の最大幸福よりもむしろ一個人の人格の感性をネライとすることが、今後の国家経済学、政治学、教育の目的でなくてはならない」と云っているが、それなら、お掃除ほど有効な能率の上がるものはない。と私は断言する。人間の大きさは、その人の好む掃除の広さ、大きさ、深さに比例する。同じ掃除好き、キレイ好きでも、自分のことだけに限られているのは小人物である。

私は每日お掃除をする。これは子供の頃から51歳の今日まで、半坪の湯殿を勉強部屋とした頃から、「パリの屋根の下」でタイプを明けても暮れてもたたいていた頃も、昔の汚い湯殿に比べると、金殿とも大原高樓ともいうべき今の書斎まで、每日お掃除をすることだけは、ちっとも変わらない。大津の本部の立派な建物でも初めは家全体が驚くべく汚れていた。私は自分の室の四畳半の片隅の黒く汚れた板の間を毎日毎日拭いた。2,3ヶ月かかって、やっと木目が分かるようになった。それからカラ拭きのミガキをかけた。それから、森山先生がつぶやきやってくださった。中尾君たちが三階の黒くなったランカンをきれいにするだけに半年以上もかかった。二寸板の階段をキレイにするのに小川さんが、断食をしながら歌を歌いながら、毎日毎日拭いたものだ。私は今でも本部に帰るたびに、あの階段を上がるたびに、そこに断食中の小川さんが元気に歌をうたっている姿を見るのだ。

1年ばかりかかって、やっと大体、黒い汚れがとれた頃、私は面白いことを発見した。それは、この大きな家の中の歴史、お掃除の歴史と、所有者の没落、転変である。この家を初めに建てて入った元祖は、昔風なシッカリ屋で、ことに主婦たる人が実にリッパな大いに内助の功があった人であるが、その主婦はもうよほど年がよっていた。だから女中の監督が行き届いていた。が、その次の主は、おそらく成金の僥倖児で、主婦は女中の監督法を知らないお嬢さん育ちか、よくよく教育、シツケのない家の子だったらしい。この2代目の所有者、その妻によってこの家は汚く黒くされ、そんな妻を持っている故に、その家は巨万の富を持っていたにも関わらず、亡びたか亡びつつあるのだろう。

と云うのは、私の室の前の押し入れから二階へ出る廊下がある。そこは暗い。この暗いところを拭き掃除している間に、この秘密を発見したからである。そこは暗いにもかかわらず、懐中電灯を持って行ってみると、隅々まできれいに拭き掃除がされたので、ピカピカ光っていて、木目もよく分かる。そこから推して、初代の持ち主は、このように暗いところまで念を入れてふき、磨き上げていたことが分かる。

ところが、二代目はこんなくらい押入れの中は掃除せず、見えるものばかり拭いたのである。それもバケツの水をたびたび取りかえずにふいたので、長年の間には汚い水で黒く染め上げてしまったのである。その証拠は壁の腰紙のスリの汚れでも想像される。

私は昔からよく汚れた家に入って住む。安い家賃を条件とするからである。ところが、汚い家は気持ちが良くないので、コツコツ掃除をする。少しずつキレイになる。楽しみが出てくる。ますます念を入れて掃除する。

掃除の秘訣と面白さは、掃除のスキな人に話すのでなくては無意義だ。酒の嫌いに人に酒談義をやるのはムダだ。
しかし、最近の体験を少しばかり書いてみると・・・掃除上手になるには、まず黒くなった廊下か、板の間を見つけること。
每日少し柔らかくしぼった雑巾で、1,2ヶ月毎日拭く。それからあとは、每日全体を拭き終わってからさらにその一部、一尺四方くらいをゴシゴシ白くなるまでこする。たいてい一尺四方で汗だくになって1時間はかかる。2,3坪がおよそ6ヶ月かかる(石けんやソーダでやれば1日でキレイになってしまうのでいけない)。大体が白くなったら、もう一度隅々や木の節で黒くなった処をやり直す。それが三ヶ月。柱一本でも半ヶ月はかかる。

この間、ゾーキンは真白でなくてはいけない。ゾーキンが汚い様ではとても掃除はできない。しないほうがむしろキレイだ。西洋では雑巾でも、白さは手拭きとちっとも変わらない(日本では手拭いを汚くする青年や婦人がある。こんな人はトテモ大した代物ではない)。

さて、白くなったら、今度は每日、乾いた布で磨くのである。もう水気は一切使用禁止。こうなればまた次の黒いところを見つけて掃除する。たいていの家には、黒いところ、汚いところがいくらでも見いだせるものだ。それでも、それがなくなったら、畳を拭くこと。

ガラス戸の掃除は大変むつかしいコツがある。これは自分で発見するに限る(ここでは教えてあげないでおく。それを云ってしまうと気の毒だ!)


掃除ナンカ忙しくて出来ない、と云う人を私は気の毒に思う。私は掃除からいろいろ深遠な哲学を学んだ上に、それによって幸福の原理、「宇宙の秩序」に到達する道筋を教えられたようなものだ。每日お掃除をするたびに、私は何かしら教えられ発見する。その上に、お掃除ほどいい健康法を私は絶対に知らない。それはいかなるスポーツよりも有益でありながら、お金もいらないし、遠方へ出かけることもいらない。その上自分にも気持ちはいいし、人には喜ばれるし、性急な正確やトンガラがった気持ちが吹っ飛んでしまう。

お掃除ほどいい強健術は他にあるまい。ただし、健康法としてのお掃除は、每日のコースを1分でも1秒でも早くやる工夫を加えること。上手になると、はじめの半分の時間でリッパに出来るようになる。それは人出を煩わすこともないし、いつでも、ドコででもできる。いつでもとちゅうでやめることができる。初めての人は膝(着物やズボン下を高くまくし上げてやるのです。ことに、スソはすぐに膝がぬける)が1日で痛くなり、スリむけてしまう。お腹は減るけれど、そこがガマンのしどころ。1ヶ月もやると、とても面白く、うれしくなってくる。

そして、人はなぜ毎日お掃除をしなくてはならないか、と云うことがわかりかけると、不幸や、戦争や犯罪の起源も分かってくる。そして初めて胸に鎧のようなアバラ骨があるのに、大切なお腹にそれがないワケなどの偉大な真理が分かってくる(こんなことは、ドンナえらい生理学者も知らないことだ!)これは道元が支那で3年も修行して来て「空手にして帰る。われに一豪の仏法なし仏法なし。ただ目横、鼻直なるを知る」と云ったのよりも偉大な発見である。第一、渡航だの、異郷の空の下だのがいらない。

病人を食物で治す指導を長年やってきた私が、「運動はドウしたらいいでしょう。絶対安静ですか」と聞かれたことはたびたびある。その度に私は相手が結核の第三期の末期であろうが、勅任官であろうが、大将、大臣であろうが、社長であろうが、「絶対安静などもってのほかです。お掃除をなさい。秩序づけに限ります。お掃除に限ります。12~13年も絶対安静をやった?よろしい、それならまず枕元の秩序づけくらいから始めるのです。それからフトンの上げ下ろしです。13年も寝て食いつぶしたのですから神様のお叱りが恐ろしいです。『神は働き給う。我もまた働くなり』と云うでしょう。ラジオ体操?・・・・・・トンデモない。この戦時に、手を上げたり足を上げたり、犬のようなマネをしたり。いや、犬だってソンなことはしません。ありとあらゆる動物を探した見てごらんなさい。ラジオ体操のようなことをやるものは、一匹だってありません。あれをみて、動物はさぞ笑っているでしょう。しかも彼らはみな元気です。3年はおろか、1年だって絶対安静をやらしたら斃れますよ。人間はしぶといですから、なかなか死にませんがね。そんなことをやる時間があるなら、まあお掃除をやってご覧なさい。自分のものは一切自分で洗うのがよろしい。それができたら、他人の分までやるのがよろしい。その功徳は大したものです。私が保証します。」

これを子どもにやらせると、親不孝がたちまち孝行になり、不忠な人がたちまち忠義な人になる。不平家は楽天家になり、弱い人は強くなり、バカは賢くなる。「いや、おかげでせがれは孝行になりました。それに全甲になってくれました」とうれし涙にくれる人もよくある。それでいて当の本人も得意満面でうれしそうな顔を見せる。

ただし、ほんとうにお掃除やお洗濯がスキな人になるのは、子供の頃から掃除ぐせをつけなくてはダメ。フランス人の子どもの雑巾遊びの話は『人生読本』に書いた通り。

お掃除を每日1,2時間やることは、40歳以降の人の健康法として何よりも有効である。私のように、机に向かったが最後、20時間も働かない人間には、トクニ霊験イヤチコです。一身や一家のお掃除お選択、秩序づけさえできなような人に、何ができよう!

髪や、カラーや、ネクタイの手入れがいかに行き届いていても、クツシタやタビの底の汚れている人は、サル又や下着もきたない。そんな人が、一つの事業や、研究や、子孫や、一家や、一生や、国家、社会に流す毒害が、個人主義、享楽主義、御都合主義で、その結果は肉体と精神のあらあゆる病気、犯罪、貧困、争闘、戦争、あらゆる不道徳、災難、間違い、災である。(昭和19年1月、『むすび』94号より)













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